未来予想図Ⅲ

未来について考えてみたことを書くブログ…

自分を殺してしまう前に

今年の24時間テレビのテーマは「(ジャニーズとの)つながり」がテーマなんですね
まぁテレビみないんでどーでもいいんですけど。
 
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今回はいつもと趣向を変えた内容である。
 
仕事やプライベートによるストレスに耐えれなくなった人向けである。
自分が体験したストレス、とその打開策についてだが、個人的経験からのものなので全てに応用できるというわけではないが、なるべく一般化して、伝えていきたい。
 
最近仕事でミスが続いた。
周りの上司には、それらをカバーしてくれる人はいない。というかストレスの原因はその周り上司からの叱責である。
その時感じたのは、仕事が原因の自殺というのは、仕事自体ではなく、職場環境に左右されるのではないかとも思った。
 
そんなわけでおれは落ち込んだ。
普通一晩寝たらすっきりする性格の私だが、今回に限ってはそれはなく、落ち込みっぱなしだった。
挫折しやすい人の特徴の一つとして、打たれ弱い、プライドが高い、というのがある。私もそれに当てはまってると思う。
毎日頑張ってるつもりでも、それが空回りしてしまい、ミスを多発する。そうしていくうちに、以前の自分より、ダメになってる気がする。
ここに一つの問題の原因がある。それは「自信」だ。自信というのは、よく聞く言葉だけど、人生の中で重要な要因である。
まず、何をやるにも自信がなければ始まらない。この自信がない状態というのが、結構たいへんである。起点がないのだから。
この自信をつくるにはどうするか、というと経験して、自信をつけるしかないのだ。しかし、経験してもミスばかりして自信がつかない。これがひとつの問題である。
 
次にあるのは、理想と現実のギャップである。働く前だと、働いている自分は輝いていた。何事もそつなくこなし、積極的に提案などをおこし、社内の雰囲気を変える。今思い返すと馬鹿馬鹿しいが、結構その当時はそう思っていた。しかし、働いてみると、日々の仕事に忙殺され、大局的に仕事を見れず、しかも、ミスが続き全体的にみると、自分はダメな方の部類になる。ということを考えると、自分は今まで何をしてきたのか、と落ち込む。
 
以上をまとめると、
問題は「ミスが続くこと」で
原因は①自信喪失②理想と現実のギャップ
その結果、落ち込み、やる気をなくす。
 
1週間ほど経って対応策を作った。
対応策の考え方は、①シンプルに考える②物事を分解する。の2つだ。これは様々な日常の問題にも使える。
 
1.まず様々なミスについて洗い出し、その原因・対応策を考えた
 
これが最初のステップ。
 
そして次は自分の哲学?を改めた。今まで理想に向かって動いてきたことを一旦やめて、現状復帰を目指した。
流れとしては次のようになる。
 
2.現状復帰→現状維持→成長ステップ という考え
 
正直言うと、現状維持は嫌だ。現状維持とはつまりは、衰退と同意義だからだ。しかし、まずは沈んでいる今の状態をマイナスとして、0の普通の状態に戻すことを優先した。一気に成長しようとせずに、まず前の正常だった自分に戻ってみる。
 
次は自信をつけていく方法だ。いろいろあると思うが、私は毎日目標をたてて行動するようにした。ただし、この目標はレベルが低くても構わない。9時までに出社する、とか当たり前のことでもいいので設定する。そして一日の最後、寝る前にどうだったかを評価する。
 
3.毎日目標を設定し、出来たかどうか見直す。(目標は低いもの)
 
恐らく少しむずかしいくらいの目標設定が好ましいのだけれど、この段階では自信をつけることが第一義にあるので、その目標による成長度合いについては二の次だ。ただし、目標については、「〜しない」という消極的なものはなく、「〜する」という主体的な目標のほうが良いと思う。これはあくまで個人の感想だが。
 
今はこの3つを進行していて、気持ち的にはだいぶ楽になっている。
時間があってもダラーとして、なんら生産的ではないのだが、苦しいよりはましだ。
 
本当に強い人なら、こうした逆境を糧にして成長していくのだろうけど、おれは思ったより打たれ弱く、衰弱してしまうようだ。
恐らく同様な人も多いのだろう。だから、日本人は自殺率が高い。
そんなときは逃げてもいいのだ。人生に逃げ、ということはない。死んだら負けなのだ。
同じように苦しむ人に、このやり方が伝わって、救われれば幸いである。
 
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There is more to life than increasing its speed.
速度をあげることだけが人生ではない。      
 
 

未来予想図Ⅲ 視聴率という幻想 〜スマホの中毒性たるや恐ろしや〜

ザハをそこまで悪く言う奴は、おれが許さない
 
 
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現在部屋にテレビがないので、テレビを見る機会が極端に減っております。
 
そんで久しぶりにこの前テレビみたんだけど、CMも久しぶりに見たわけ。
へーこんなCMやってんだーとか、おもしろいCM創るなーとか思って見てたんだけど、そんなCMは1,2割り程度で後はスマホいじってたのよ。
みなさんテレビのCM中何してますのん?CM見てます?だいたいがスマホいじってません?
 
駅で電車待ってる人見ると、9割型スマホいじってますよね。まぁわたしもその一人なんですが。。。空き時間の活用とか大義名分言ってる割には多分あんま生産性ないんだけど…
そんでたいていスマホは携帯してるんだけど、その時テレビCM流れたらスマホ時間に入るわけ。番組中でもつまらなくなったらつけっぱなしでスマホいじったり。
だから、テレビCMを扱う大手の人はほんとに効果があるのか1回検証してみたほうがいいと思うのよ。おそらくネット系、特にスマホアプリとかだとその効果は新聞とかよりあると思うんだけど、飲料メーカーとかは昔より効率下がってるんじゃないかなって思うのよ。
 
だから、今どき視聴率◯%達成!とかって無意味化してるとおもうんだよね。だってそれテレビをつけてるってだけで、画面を見てる数字ではないから。
 
昔なら、スキマ時間で他にやることなかったから、見飽きたCMを見てたけど、スマホという恐ろしく中毒性のあるアイテムを手にしてしまっては、もう対応しようが無いわけですよ。だってCMより、友達、彼氏・彼女とラインやってるほうが楽しいから。
 
だからテレビがこんなに発達してるんだから、視認性の機能を盛り込んだりとかやるしかないんだとおもうよ。テレビ業界と電機メーカーのタッグで。
そんで新たなCMを打ったりできるし、結構効果大きいと思うな。
 
まぁその前に規制が増え陳腐化しつつあるテレビ番組を今後どう盛り上げていくか、のほうがコアな問題なんだけどね…
 
そんな未来日記
 
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Fear always springs from ignorance
 
恐怖はいつも無知から生まれる。 エマーソン

国民主権とは? 〜新国立競技場とギリシャ問題〜

東京の人の電車の席取りの早さは他国を凌駕する日本文化の一つだ。
 
これはフルーツバスケットという、日本伝統の遊戯によるたわものである。
 
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現在世間の話題といえば、「新国立競技場」と「ギリシャの経済破綻」の2つ
 
前者の論点は、なぜ他と比較しても馬鹿げている建設費がかかる建築物を建てようとしているのか、そしてどこから調達するのか。
後者の論点は、国民投票で緊縮策の反対が過半数を上回り、今後どうしていくのか、と
どちらも現時点で、問題が収束する見込みはなさそうだ。
 
ただ、後者については、ある要素が伺える。それは、国の政策というのを国民投票によって、決定していることだ。
ここで、国民投票について、少し整理したい。
 
国民投票というのは、重要な政策の決定などに対して国民が投票をすることができる権利である。
しかし、国によって国民投票する対象が違っていたりする。日本では、原則として憲法の改正のみである。ドイツも同様だ。アメリカに至っては、国民投票すら存在しない。国土が広いからかはわからん。ただし、今回のギリシャ、そしてイタリアなどの国では、重要な政策の決定に伴い、実施することができる。
 
今回ギリシャは、EUの緊縮策に対しての、国民投票を実行した。その結果は、反対61.31%、賛成38.69%と、反対が過半数を占めた。この結果によって、さらにギリシャ問題は混沌を極めることになろうが、私は別の視点でこの結果を受け止めた。それは、国民が主となって、政策を決めたことだ。
 
新国立競技場問題は、とにかくその建設工費が高い。その決定過程について、いろいろ問題がありそうだが、今回はそれはスルーして、今のところ、後戻りは出来ないということで、この計画どおり進めていく試算である。財源はスポーツくじ、宝くじ、というのだから、政府関係者も博打好きなのが多いのか…
さらには、お金持ちの東京都にその一部負担をせがんでいる有り様である。過去にはジャパンアズナンバーワンと言われていたのだが…
 
それはともかく、新国立競技場問題のように、今の日本では、政府と国民との意思乖離が大きいように思える。戦後から国民主権という概念が広く世界に広まった。簡単にいうと、国を動かすのは国民にその権利が(間接的としても)ある、ということである。ところが実際は、そうか?と思う所が多い。現在の政策については、ほとんど内閣が動かしている。そして、これは三権分立の構造上間違ってはいない。
国民が選挙で有能な人を選出→選出された人で党を組み、その中で一番議席が多い党を与党とする→内閣は与党から選ばれる、という流れに従っている。
 しかし、この国民の意思を代表していると言われている内閣にしても、国立問題にしても、われわれ国民の意見というのが、2ちゃんのまとめ的な扱いとなっている。つまりは、政府に相手にされていないのだ。
 
それに対して、ギリシャはまだ良くて、政府はしっかりと国民の意見を聞いているのだ。(まぁそれを盾にしてるところもあるが)1回も直接民主を経験していない自分としては、是非自分の票で国の政策を決める体験をしたい。
 
 
100年後の未来人は、この出来事を笑うだろうか
 
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it has been said that democracy is the worst form of government expect all the others that have been tried
民主主義は最悪の政治形態だそうだ。ただし、今までに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
 

ブータン、後進国から先進国モデルへ

電車の中で、ゲームの画面や新聞などを横目で見る人を見ている人を見るのが好きです。

 

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幸せの国ブータン。近年話題になっている国だ。
 
一番のきっかけは3.11だろう。そこから、幸せに考える番組とかがメディアでは多く取り上げられてた印象だ。
「絆」というメッセージで気持ち悪いくらい人とのつながりが盛り上がってたと思う。
 
そんな震災後の中で、ブータン国王が来日して、ひととき日本ではブータンフィーバーが起こった。
国王がイケメンだし、ラーメン二郎食ったらしい(真実かはわからん)けど、一番の感心事は、ブータンという小さな国で経済力も無いのに、なぜ幸せな国か、ということだった。
 
その時までは、失われた20年とかで、ヒゲ生やしたおっさんとかが好き好んで使い、国としての次への目標について見失っていた。何が幸せなのか、まったく見当がついていなかった。そんななか出てきたのがブータンが定義したGNHという概念。GNHとはお分かりの方も多いかと思うが、Gross National Happinessの略で、GDPというお金の価値ではなく、幸せの総量で国を評価しようという試みである。
 
国民総幸福量(GNH)
※外務省HPより引用
 
これは1970年代に、先代の国王の提唱で始まったが、当時は弱小国が何いってやがるという感じかなと思う。それが今となっては、、右も左もわからなくなった先進国の灯火になろうとしている。
周回遅れだったランナーがいつの間にか、先頭になっているという感じだ。
 
前置きが長くなってしまったが、なぜこの話題をだしたかというと、↓の本を読んだからだ
 
この本で興味深いエピソードがある。
ブータンを観光するには、制限がある。代表的なものでいえば、個人旅行は無理で、必ずツアーを通さなければならず、しかも旅行ルートが決まっているとのことだ。その理由は前述のGNHに関わる生物多様性を守るためだ。(生物多様性について知らなかったら少し調べてみてほしい。世界的には地球温暖化と同じレベルで問題視されている。日本では、あまり注目されないが)そして、観光人口を制限するために、一日ごとに観光料がかかる。(だいたいツアー料金に含まれる)それが以前は100ドルくらいだったのが、ある日200ドルに値上げしたのだ。
 
これには、さすがのブータン好きの旅行者も嫌悪した。
そこでブータンのエリートに著者がこの話題に触れたそうだ。筆者は、値上げで鎖国状態に近づき、さらに海外との距離を広げてしまうから、反対意見が出てくると思ったそうだ。
ところが、そのエリートが言った答えは反対のものだった。旅行者が減ることで、地域資源への被害が小さくなるから良いことだ、と。
 
ここにブータンの教育水準の高さが伺える。
ブータンは小国である。ましてや中国とインドという世界的にも屈指の大国に挟まれている。そうしたなかで、周りから圧力を受けるのは当然である。しかし、それと同時に、海外との接触を受け入れすぎて、侵害されてしまったことも多数ある。アフリカの乱獲なんかも、その結果である。
そうした例を見ながら、ブータンでは教育に力を入れた。しかもGNHに基づく教育である。
 
先に述べた生物多様性も中学校の教科書で学ぶという。GNHについても当然習うのだろう。
 
資源も何もない国が生き残るには、独自の文化が必要である。そしてそれを伝える能力。その結果が教育になったのだろう。そしていま、世界の小国中でも、立派な存在感を出して、国として残っている。これはあまり誰も指摘しないけど、とてもすごいことなんじゃないかと僕は思う。だって、40年まえからすでに、将来必要とされる概念を編み出していたのだから。世界の小国がである。
 
 
結論としては、ブータンいきたいなーということでした。(検討したものの、5日でこみこみ50万くらいするからあきらめている…)
 
There is more to life than increasing its speed.
速度をあげることだけが人生ではない。 (ガンジー

未来予想図Ⅲ おじさんの不満は若者が受け止める〜質量保存の法則〜

女性は知らない。男の小便はスプリットすることを。スプリットするのだ。それも突然に。自分の意思とは関係なく。

時代は移り変わる。人も移り変わる。世代も移り変わる。
 
〇〇世代と言われることが多くなった。何かと世代の特性を一言で括りつけて、論じたい人が多いからだろう。バブル世代、ゆとり世代、さとり世代。自分たちで決めたわけではないのに、周りからやかましく言われると、そうなのかなあ、と自分もそうだと思ってしまう。
 
「近頃の若いもんは…」若者を揶揄するときの定例文である。古代エジプトの時代から続くこの一文は、技術が進歩した今でも元気に生き続けている。
でも最近、「近頃のおっさんは…」という光景をよく見る。駅員に口角泡を飛ばしているのはおっさん、店員になんやかんやと説教垂れるのはおっさん、住民説明会で声高なおっさん、おっさん、おっさん。口論あるところにおっさんである。
 
若い世代の(といっても40歳以下)人たちから見たら、何をそんなに怒ってるのかわからない。余計疲れるだけだと思う。でもおっさんは眉間にしわ寄せ、青筋立てて激を飛ばす。まるで「喝!(デデンッ)」と聞こえそうなくらい。
 
だがしかし彼らにも彼らなりに怒らざるをえないところがあるのだ。彼らの働き盛りのころは、まさにバリバリ働いた時代。日本は高度経済成長期。他のやつらに負けじとあらゆるものが消費された。モノをもつことがステータス、自分ブランドの確立だった。「24時間働けますか?」という煽り文句にも疑問をもたないほど、時間がなかった。
そうした世代の人間にとってみれば、仕事での自分が、アイデンティティーであったし、エネルギー、地位も仕事が源であった。そっから仕事を取ると、彼らに残るのは、その気質だけだった。現役時代とくらべて有り余る時間、エネルギー。
そのはけ口があればいいのだが、仕事がいきがいだった人たちには、もうはけ口はない。排水口にたまったゴミを取り除くように、これらの鬱憤も取り除かなければならない。仕事ではない、はけ口となるところ。それは数少ない人と接する機会、スーパー、駅、ファミレスにある。そして、それらを一手に受け取るのが我々若者だ。
「人に迷惑をかけない」ことを教育によって刷り込まれた我々高潔な日本の若者たちは、正面からおっさんたちと対峙することなく、なるべくおだやかに排水口のゴミを取り除くのだ。
 
おっさんたちは悪くない。やりがいが「仕事」のみになったのは、そういう”時代”であったのだ。誰が悪いというならば、それはそういう働き方、経済に持っていった役人たちなのだが、おっさんたちに若者が怒られてる場所には、引退役人は居やしない。
今後増えていくおっさんたちの鬱憤は我々若い世代が受け止める。次の世代に引き継がせないために。
 
そんな未来予想図
 

If you want the rainbow, you gotta put up with the rain.
 
虹を見たければ、ちょっとやそっとの雨は我慢しなくちゃ(ドリー・パートン/米国のシンガーソングライター、女優 / 1946~)
 
 

未来予想図Ⅲ ウェアラブルの次 〜モノはコスト〜

中年のおっさんが人生楽しんでまっせの顔見たいときは、パコパコバスツアー見ると確実
 
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IoTって言葉に代表されるように、巷ではウェアラブルブーム。いや、まだ黎明期だけど、この波が来る。
 
ウェアラブルブームが来た原因は、デバイスの中の半導体小型容量化が大きいよね。昔はデータ容量128Mまでのウォークマンが今では、64Gとかだから。ムーアの法則さまさまなわけです。もうデバイス業界は戦々恐々ですな。カシオとか老舗の時計メーカーとかどうするんだろ。携帯電話が、本来の使用用途がメインではなくなったように、柔軟にこの流れについていける、先見性をもってる企業だけが生き残って後は淘汰されるんだろうね
まぁ子供にはIT教育ですよ、なんにせよ
 
このウェアラブルってのは、人間の欲望の塊ってか、便利さを追求した結果のプロダクトなわけで、そこには偶発性はなく、必然性の結果。こんなわかりやすい波に対して、乗り過ごしたらそれは経営者の資質がないってことで。んで、時代はそんな愚鈍経営者にかまってられないわけで、一秒一秒進んでいるわけ。
 さて次になにが来るのかってのを考えると、次に来るのは、”非物質”か”体内デバイス”
 
非物質に関しては、もう研究段階では現実味を帯びている。例えばこれ

 
これは、本を開くとそこにアマゾンの評価や値段が書かれてたり、壁にスクリーンを表示して操作することができたり。いやーMITすごいね。同じ時代の大学だとは思えない。てかこの動画事態2009年なんだから、今はもう試作機が出てるのかも。
 
次は体内デバイス。これは体の中にチップやらを埋めてしまいましょうということ。忘れ物が多い私にとっては、とても実現してほしい社会である。
そうなると、必ず体内にはモノを入れたくない!ってヒトが出てくると思う。まぁそれなら入れなきゃ良い話。整形だってシリコン剤入れてるんだから、おれとしては早くオートチャージSUICAを埋め込んで、手ぶらで電車乗りたいな。てか、クレカ機能もか。
 
所持するって基本的に、そのヒトの所有物というベネフィットを得るけど、同時に失うというリスクが発生することは、生活してれば自ずとわかることだろう。
ITによって情報のコピーが容易になり、複製の限界費用は限りなく0になった。しかし、モノというのはそこに存在する限り、あらゆるコストを含む。
しかし同時に人間の体はモノであり、そこには体の存在=私が存在していることを示す。なので、人間の体は残しつつ、周りのモノは非物質化、もしくは体の一部にすることで、生活のコストをなくしていく。
 
そんな未来予想図
 
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It’s all about the journey, not the outcome.
すべては過程だ 結果ではない カール・ルイス
 

未来予想図Ⅲ 「車の運転が趣味化する」

 今日も世界のどこかでぼったくられる日本人がいると思うだけで、世界のつながりを感じる。
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運転の無人化。この話が出た時、ホントかよwwぐらいの話でしたが、Googleさんマジだし、日本で実験走行始まってるんで、もう実用化は近いなと思う。んで、これがどういう結果を生むかって話。
 
運転苦手な俺からすると、これはホント早く導入してほしいと思うよ。だって、車って常に事故の危険をはらんでるから、そんな心的負担を早く解消してほしいし、運転のよくない点は時間を制限しちゃうこと。運転してる間って基本目を動かすしかできない。しかも、運転に集中しながら。それに渋滞とか時間の浪費の極み。時間かかるわ、いらだつわ、環境に悪いわの3悪。運転って結構なコストをはらんでる。だけどそれを超えるほどのメリットがあるからこそ車は今も移動の主流なわけで、自動車はこれまでの人間の移動可能範囲を劇的に変えた。新幹線とか飛行機があるけど、これらと大きく違う点は、地点の制約がないこと。道路があればどこでも自由な時間で移動できる。車が社会に果たした役割って大きいなと、若造は思う。
 
前置き長いけど、ここからが無人化の結果の話。さっきあげたコストを無人化は減少させる。時間に関して言えば、それは0になるが、事故のリスクは多少ながら残るだろう。いきなり飛び出してきたシカとか、アイスバーンに対して、すぐに対応できるとは思えない。恐らく最初は頻発に起こり、それによって無人化大丈夫か?ってなると思う。下手すりゃ日本では禁止かもね。でもそれを抜けるとあとは、多少事故が起きるが、減少していく。
 
運転手がいなくなることで、居酒屋へ行きやすくなる。運転手だけ飲めないみたいな事態が起こらないので、もう車内で飲み会も珍しくない。カラオケだってなんのその。こうした需要が予想されるので、車会社はこれまでのありふれた車のモデルではなく、新しく車内のイベントも混じえた車のデザインを考える必要になる。
 新しいクルマはこれまでの車と一新され、人々に新たな自動車の買い替えブームが起きる。まぁ無人化の前までは電気自動車とか水素自動車という買い替え要因だろうね。
 
 そうなるともう、運転なんて趣味人がやることになっちゃう。「趣味は運転です」「古ー」なんて会話が交わされることも請け合い。わざわざ運転免許なんて取る必要もなくなるので、運転免許をもってる世代、もってない世代に別れるなんて今考えたらありえない。でも、運転の無人化ってだけで、それが容易に想像される。
 
以上のことを妄想すると、無人化もタダでは終わらないなと思う。Googleという一企業によって多くの産業、企業が振り回される。ほんとこの先Googleさんが世界を支配するかもね。もう支配されてるかもしれないけど。
 
 
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When I look into the future,it’s so bright it burns my eyes                    (Oprah Winfrey)
将来のことを考えると、そのあまりの明るさに目が眩みそうになるわ