未来予想図Ⅲ

未来について考えてみたことを書くブログ…

国民主権とは? 〜新国立競技場とギリシャ問題〜

東京の人の電車の席取りの早さは他国を凌駕する日本文化の一つだ。
 
これはフルーツバスケットという、日本伝統の遊戯によるたわものである。
 
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現在世間の話題といえば、「新国立競技場」と「ギリシャの経済破綻」の2つ
 
前者の論点は、なぜ他と比較しても馬鹿げている建設費がかかる建築物を建てようとしているのか、そしてどこから調達するのか。
後者の論点は、国民投票で緊縮策の反対が過半数を上回り、今後どうしていくのか、と
どちらも現時点で、問題が収束する見込みはなさそうだ。
 
ただ、後者については、ある要素が伺える。それは、国の政策というのを国民投票によって、決定していることだ。
ここで、国民投票について、少し整理したい。
 
国民投票というのは、重要な政策の決定などに対して国民が投票をすることができる権利である。
しかし、国によって国民投票する対象が違っていたりする。日本では、原則として憲法の改正のみである。ドイツも同様だ。アメリカに至っては、国民投票すら存在しない。国土が広いからかはわからん。ただし、今回のギリシャ、そしてイタリアなどの国では、重要な政策の決定に伴い、実施することができる。
 
今回ギリシャは、EUの緊縮策に対しての、国民投票を実行した。その結果は、反対61.31%、賛成38.69%と、反対が過半数を占めた。この結果によって、さらにギリシャ問題は混沌を極めることになろうが、私は別の視点でこの結果を受け止めた。それは、国民が主となって、政策を決めたことだ。
 
新国立競技場問題は、とにかくその建設工費が高い。その決定過程について、いろいろ問題がありそうだが、今回はそれはスルーして、今のところ、後戻りは出来ないということで、この計画どおり進めていく試算である。財源はスポーツくじ、宝くじ、というのだから、政府関係者も博打好きなのが多いのか…
さらには、お金持ちの東京都にその一部負担をせがんでいる有り様である。過去にはジャパンアズナンバーワンと言われていたのだが…
 
それはともかく、新国立競技場問題のように、今の日本では、政府と国民との意思乖離が大きいように思える。戦後から国民主権という概念が広く世界に広まった。簡単にいうと、国を動かすのは国民にその権利が(間接的としても)ある、ということである。ところが実際は、そうか?と思う所が多い。現在の政策については、ほとんど内閣が動かしている。そして、これは三権分立の構造上間違ってはいない。
国民が選挙で有能な人を選出→選出された人で党を組み、その中で一番議席が多い党を与党とする→内閣は与党から選ばれる、という流れに従っている。
 しかし、この国民の意思を代表していると言われている内閣にしても、国立問題にしても、われわれ国民の意見というのが、2ちゃんのまとめ的な扱いとなっている。つまりは、政府に相手にされていないのだ。
 
それに対して、ギリシャはまだ良くて、政府はしっかりと国民の意見を聞いているのだ。(まぁそれを盾にしてるところもあるが)1回も直接民主を経験していない自分としては、是非自分の票で国の政策を決める体験をしたい。
 
 
100年後の未来人は、この出来事を笑うだろうか
 
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it has been said that democracy is the worst form of government expect all the others that have been tried
民主主義は最悪の政治形態だそうだ。ただし、今までに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。